梢朱之介は武内, 仁雄, 1903-1979 || タケウチ, サネオ である

抜き書きから 武内仁雄 梢朱之介「含羞草」 抜き書きから 過日。泉涓太郎が分かったのだから、梢朱之介の正体が分からないはずはない(少なくとも本名くらいは)、という勘のもと、その手立てを考えていたところ、ふいに『鬱金帳』創刊号の奥付を抜き書きして…

「蕎麥から寳船まで」ほか───巳年・新年の随筆

2025年、今年は巳年である。清もまた巳年の生まれで、1893年から今年で12回目の巳年である。 そこで今年初めの記事として、まず自身と妻の干支について書いた随筆「嬶天下」、それから新年にまつわる随筆を数点文字起こしすることにした。冒頭の写真は「嬶天…

目次

本ブログでは、主に黒石大泉清に関する研究や書誌、またその作品や参考文献をアップしています(泉涓太郎など、その周辺人物についても少し)。大泉黒石研究については、まず下記のエントリをご覧いただければと存じます。 avos.hatenablog.com ★黒石大泉清小…

深川経二=泉涓太郎の遺稿「死の巴蜀行」

drive.google.com 上海毎日新聞社員の深川経二と大阪毎日新聞上海特派員の渡邊洸三郎が成都にて暴徒らによって殺害されたのは昭和十一(1936)年8月24日であった。ここで紹介するのは『日本評論』(日本評論社,1936年11月号,268-280頁)に掲載された深川の遺稿と…

自叙傳「奧付」と說苑欄引退錄/刺笑の世界から/風俗主義跳梁の文壇 ──1921年の黒石の文学論

「刺笑の世界から」は黒石の文学観、および人生観を端的に示した随筆として言及されることが多いが、単行本等には収録されておらず、全文を読む手段が限られているため、ここに文字起こししたものを掲載しておく。ついでに、その数か月前に発表された「自叙…

数珠繋ぎの大泉黒石論──山川亮・正岡容・津田光造

NDLデジタルコレクションのOCRテキスト化の範囲が拡大してから、少しずつではあるが確認を進めている。その中の大きな発見の一つとして、正岡容の「大泉黒石論」がある(新聞集成大正編年史 大正11年度版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション)。これは19…

黒石大泉清詳細年譜稿(1930-)

※入力の都合上、二つの記事に分けて掲載します。引用等の際は、書籍/pdf版の註番号、頁数を参照していただければと存じます(黒石大泉清伝 - Google ドライブ)。 ◇「紅葉の中をゆく ─片品川渓谷─」について 昭和六年(1931) 38歳 昭和七年(1932) 39歳 昭和八…

黒石大泉清詳細年譜稿(1893-1930)

※入力の都合上、二つの記事に分けて掲載します。引用等の際は、書籍/pdf版の註番号、頁数を参照していただければと存じます(黒石大泉清伝 - Google ドライブ)。そのうち、新情報も含めて改訂できればと思います・・・ 【凡例】 ・拙稿「黒石大泉清小伝 〈大泉…

小伝目次/第1章:出生と孤独──長崎のロシヤ人

拙稿『大泉清小伝 〈大泉黒石〉の誕生』を、一章ごとに区切ってブログ記事としても投稿しておきます(目録を除く)。基本的に異同や修正はございませんが(ただしウェブ記事のみに掲載している写真が数点あります)、引用をされる場合はpdf版(=書籍版)の方を参…

第2章:学生時代──海外遊歴の謎・文学への目覚め

め[:contents] 2-1.父アレクサンドル没後の動向 1902年2月11日から12日にかけての夜、父アレクサンドルが亡くなった。おそらく清が小学校三年生を終える頃のことだった。アレクサンドルは、「記録文書の証言によると、(…)死に先立って遺言を口述筆記し、「日…

第3章:労働者時代 

3-1.京都から東京へ 3-2.労働者時代 3-3.第一高等学校 3-1.京都から東京へ 1915年、おそらく月謝未納等の金銭的な理由から、清は9月に進級する前までに第三高等学校を退学せざるをえなくなったようだ。父の遺産がとうとう底をついたか、『俺の自叙伝』等に書…

第4章:赤本作家時代──丘の蛙・大谷清水ほか

4-1.赤本について 4-2.清と赤本屋──門前払いの苦悩 4-3.丘の蛙──赤本作家としての出発 4-4.『一高三高学生生活 寮のささやき』──剽窃と記憶 4-5.『博士になるぞ』──『俺の自叙伝』のエクリチュールの萌芽・苦悩の表出 4-6.『諧謔小説 かっぱの屁』──夏目漱石…

第5章:〈大泉黒石〉の誕生と泉清風

5-1.春江堂書店の書記 5-2.春江堂書店からのデビュー 5-3. 赤本作家泉清風──概覧 5-4.活動期間の比較 5-5.「大泉黒石」・「泉清風」としての出発──二つの戦略 5-6.〈大泉黒石〉の誕生 5-7.〈大泉黒石〉の受容──喝采と疑義 5-8.大泉黒石と泉清風 5-1.春江堂書…

第6章:不幸な誕生──姿の消し方  

6-1.書けなくなっていった 6-2.『中央公論』創作欄におけるスランプ 6-3.スランプの持続・過去作品の使い回し 6-4.いくつかの活路 6-5.長編小説の復活 6-6.黒石大泉清と周辺の人々 6-7.まとめ 本稿では、清が〈大泉黒石〉として誕生して有名になるまでの軌跡…

おわりに

『俺の自叙伝』がいくつかのテクストを再構成しつつ書かれたように、本稿もまたいくつかの報告書を基に全面的に書き直したものである。大泉黒石について調べ始めたのは去年(2022年)の夏休み明け頃であった。卒論題目の提出期限が迫り、いくつか珍妙な案があ…

補論:〈大泉黒石〉の/という「嘘」をめぐって

〈大泉黒石〉という自己物語化には早くからほころびも生じていた。彼自身、嘘をつくのが楽しくなってしまって、時にやりすぎてしまうということがその原因の一つだった。 そもそも清は嘘をつくことが好きだったようだ。あるアンケートでは「特種才能」という…

補論:大泉黒石の〈シベリア行〉追跡

❶ 闇に包まれた〈シベリア行〉 ❷ 新聞社からの逃亡/追放 ❸ 『露西亜西伯利 ほろ馬車巡礼』 ❹ 結論 ❶ 闇に包まれた〈シベリア行〉 1918年の後半から1919年の前半の間に、黒石大泉清はシベリアへ行って来たらしい。このことは『露西亜西伯利 ほろ馬車巡礼』、…

補論:『俺の自叙伝』の成立・丘の蛙の剽窃

『俺の自叙伝』の成立 丘の蛙『一高三高学生生活 寮のささやき』 『滑稽俳句 海鼠の舌』 『俺の自叙伝』の成立 ここでは『俺の自叙伝』及び丘の蛙のテクストと、その元となったテクストの照合をする。 本文でも述べたように、「幕末武士と露国農夫の血を享け…

泉涓太郎と成都事件

ある方とお話をしていて、黒石が主宰した雑誌『象徴』の前身ともいえる『鬱金帳』に話が及んだ。私は、その時点で知る限りのこと──『象徴』1巻1号に『鬱金帳』第一冊から第五冊(おそらくこれで全て)までの総目次があるということ(ただし、第一冊の随筆ページ…

大泉小生「三高生活 冬の夜がたり」+大泉黒石「第三高等学校の生活」(アンケート)

大泉小生「三高生活 冬の夜がたり」(『中學世界』20巻1号1917.1 付録26-27頁) 大泉黒石「第三高等学校の生活」(アンケート「私の得た最初の原稿料」『文章倶楽部』10巻1号、新潮社、1925年、91頁) 註釈 大泉小生「三高生活 冬の夜がたり」(『中學世界』20巻1…

大泉きよ『文章世界』掲載作品+大泉黒石「ひとりごと」

「一人の女」 長崎市伊良林四八三 大泉きよ 「ベンチの春」 長崎 大泉きよ 「雲」 長崎 大泉きよ 註釈 大泉黒石「ひとりごと」(『騒人』3巻4号、騒人出版局、1928年、122-124頁) 「一人の女」 長崎市伊良林四八三 大泉きよ (『文章世界』7巻4号1912.3 187頁…

辻潤全集未収録作品

大泉黒石について調査するなかで、辻潤についても調べている時期がありました。その過程で、数点の全集未収録作品を発見したため、ご参考までにその出典や解説(もどき)等を掲載いたします。なお、本記事は基本的に過去に書いたnote記事の転載です(辻潤全集未…

【追加・訂正】「大泉黒石著作目録」「大泉黒石参考文献目録」補遺(国松春紀氏作成目録への追加)

※NDLデジタルコレクションのOCR化や送信サービス移行がますます進み、調査当時における未知文献(主に昭和後期)が続々と出現していますが、今のところほとんどここには反映できていません。まとまった時間を取って、NDL限定と送信サービス限定のものをリスト…

『黒石大泉清小伝 〈大泉黒石〉の誕生 附年譜・目録』紹介&DLリンク

この度、卒業論文として執筆した大泉黒石の伝記研究を、私家版として少数部発行いたしました。拙稿は国立国会図書館(東京のみ)、日本近代文学館、神奈川近代文学館、長崎県立図書館郷土資料センターに寄贈いたしましたので、一定期間後にこれらの機関でお読…